女性天皇(じょせいてんのう)

女性の天皇のことです

女性天皇とは、読んで字のごとしで、女性の天皇のことです(当たり前でごめんなさい)。ただ、現在の法律では、女性天皇が誕生することは不可能です。皇位を継承する資格が「男系男子」つまり男性に限られているからです。

▼昭和二十二年法律第三号 皇室典範

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

過去に女性天皇はいたのか

過去に女性天皇は8人いました。うち2人は、いずれも2回即位していますので、8人の女性が10の時代を作ったことになります。そのため、「十代八人(じゅうだいはちにん)の女性天皇が存在した」と言われます。「十代八方(じゅうだいはちかた)」「十代八名(じゅうだいはちめい)」と言う人もいます。

▼「日本では、これまで十代八人の女帝が誕生し、六十四人の天皇が生前に皇位を譲っている。このうち女帝は江戸時代の二人(明正、後桜町)を除いて他はすべて八世紀後半までに集中しており、特に古代天皇制の特色といえる。」「正式な天皇とは位置づけられていないが、五世紀後半に飯豊皇女という女王が一時、王位に即いていた事実もある。とくに七世紀末からの約百年間に、四人五代の女帝が在位していた。平安時代以降は長く途絶えてしまったが、それまでは女帝の存在は決して珍しくなかったのである。」

参照:水谷千秋(著)『女帝と譲位の古代史』 2003年 文藝春秋 文春新書354

▼卑弥呼とかアマテラスオオミカミというお話はちょっと別にいたしまして、しかし歴史書には、例えば推古天皇とか持統天皇だとかいうような女帝が十代八方おられたわけでございます。

過去にいた女性天皇はどんな人か

過去にいた十代八人の女性天皇とは次の各天皇です。([ ]内は代)

うち2人は、重ねて即位(重祚、ちょうそ)しています。皇極天皇が斉明天皇、孝謙天皇が称徳天皇になっています。以下の説明は『皇室事典 令和版』『歴代天皇年号事典』などによります。

▼[33]推古(すいこ)天皇 6~7世紀

 ▽生没:554~628。在位:592~628。在位 37年、没年齢 75

 ▽[29]欽明天皇の娘。[33]崇峻天皇の母違いの姉。[30]敏達天皇の妃。崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺された後、群臣から推挙を受けて即位。日本史上最初の女帝とされる。聖徳太子を皇太子として摂政に任じ、飛鳥時代の最盛期を築いた。

▼[35]皇極(こうぎょく)天皇 6~7世紀

 ▽生没:594~661。在位:642~645。在位 4年、没年齢 68

 ▽[30]敏達天皇の孫。[34]舒明天皇の皇后。[38]天智・[40]天武天皇の母。舒明天皇の死後即位した。蘇我蝦夷を重用し、その子・入鹿と政治を行ったが、乙巳の変で蘇我氏本家が滅亡、中大兄皇子(天智天皇)が即位を辞退したので弟[36]孝徳天皇に譲位。

▼[37]斉明(さいめい)天皇 ←皇極が重祚

 ▽在位:655~661

 ▽[36]孝徳天皇の死後も中大兄が即位を辞退したので重祚した。在位中に「狂心渠(たぶれごころのみぞ)」とよばれる巨大運河を造営。大規模工事が民衆に「狂気の沙汰」と非難されたことからそのように呼ばれたという。先進的な運河だったという説もある。

▼[41]持統(じとう)天皇 7~8世紀

 ▽生没:645~702。称制:686~689。在位:690~697。在位 8年、没年齢 53

 ▽[38]天智天皇の次女。叔父の大海人皇子([40]天武天皇)の妃となり、壬申の乱でも行動をともにした。673年、天武が即位し皇后に。686年の天武の死後、即位せずに政務を執り(称制 しょうせい)、息子で皇太子の草壁皇子(くさかべのみこ)の即位を願ったが、689年に草壁が死去し、690年に正式に即位。天武の長男(母は別人)高市皇子(たけちのみこ)を太政大臣にし律令体制の完成に努めた。696年に高市が死去。翌697年、草壁の子・軽皇子(かるのみこ [42]文武天皇)を皇太子に立て、譲位した。史上初の太上天皇(上皇)。初めて遺体が火葬された。百人一首の2番目「はるすぎてなつきにけらし…」で有名。

▼[43]元明(げんめい)天皇 7~8世紀

 ▽生没:661~721。在位:707~715。在位 9年、没年齢 61

 ▽天智天皇の4女。草壁皇子の妃、[42]文武天皇の母。文武が若くして没し、所生の首皇子(おびとのみこ [45]聖武天皇)も幼く、成長を待つため707年に即位。710年に平城京に遷都した。712年に太安万侶が『古事記』を撰上。714年に首皇子を立太子して、715年、娘[44]元正天皇に譲位した。

▼[44]元正(げんしょう)天皇 7~8世紀

 ▽生没:680~748。在位:715~724。在位 10年、没年齢 69

 ▽草壁と[43]元明天皇との間の長女。[42]文武天皇の姉。715年に母から譲位された。718年、藤原不比等らが『養老律令』を撰進。720年、舎人親王らが『日本書紀』を撰上。8年(724)、首皇子に譲位。治世の後半は長屋王が政治を主導。太上天皇(上皇)として聖武を後見した。

▼[46]孝謙(こうけん)天皇 8世紀

 ▽生没:718~770。在位:749~758。在位 10年、没年齢 53

 ▽聖武天皇の次女。母は藤原不比等の娘の光明皇后。聖武と皇后の間の皇子が早世したので、史上唯一の女性皇太子となり、父・聖武の譲位によって即位した。母・光明皇后は初めて人臣(皇族以外)から皇后になった人(それまでにも「妃」や「夫人(ぶにん)」はいたが「皇后」はいなかった)。病気の光明皇太后に仕えることを理由に譲位し、太上天皇(上皇)となった。

▼[48]称徳(しょうとく)天皇 ←孝謙が重祚

 ▽在位:764~770 在位 7年

 ▽[47]淳仁天皇の廃位に伴い重祚。765年、道鏡を太政大臣禅師とし、翌766年、法王に任じた。道鏡は767年、宇佐八幡神の託宣と称して皇位につこうとしたが、和気清麻呂が「天つ日嗣は必ず皇儲をたてよ、無道の人は宜しく早に掃い除くべし」との託宣を得て、道鏡の即位はならず、称徳は770年に亡くなった。

▼[109]明正(めいしょう)天皇 17世紀

 ▽生没:1623~1696。在位:1629~1643。在位 15年、没年齢 74

 ▽[108]後水尾天皇の次女。父・後水尾の突然の譲位により天皇に。900年ぶりの女性天皇。在位中は父の後水尾が院政を執った。1643年、母違いの弟の[110]後光明天皇に譲位し、太上天皇となった。

▼[117]後桜町(ごさくらまち)天皇 18~19世紀

 ▽生没:1740~1813。在位:1762~1770。在位 9年、没年齢 74

 ▽[115]桜町天皇の次女。[116]桃園天皇が亡くなった後、皇嗣([118]後桃園天皇)が幼なかったため即位。1768年に桃園の長男で甥の[118]後桃園天皇を立太子し、1770年に譲位して太上天皇となった。

これらの8人はいずれも、結婚していないか、夫が天皇または天皇の息子でした。

▼「大宝(養老)令」の「継嗣令」では、男帝を前提とする規定の本注に「女帝の子亦同じ」と定めている。つまり、男性天皇を優先しながら、女性天皇も公認していたのである。ただ、実際に即位された八方十代(二方重祚)の女帝は、寡婦か未婚で独身を通されたから、その子孫がなく当代限りで終っている。

▼『大宝令』・『養老令』の「継嗣令(けいしりょう)」でも「女帝(じょてい)」を公認しており、実例に照らして女性の天皇が古代に八代六名、近世に二代二名を数える。

▼ところで推古・皇極(斉明)・持統の各天皇は、それぞれ[30]敏達・[34]舒明・[40]天武の各天皇の皇后で、元明天皇は天武天皇の子である皇太子草壁皇子の妃であつたが、元正・孝謙(称徳)天皇は未婚の内親王であった。(…)(明正、後桜町)の二名は近世の女性天皇で、ともに未婚であつた。

参照:皇室事典編集委員会(編著)『皇室事典 令和版』 2019年 KADOKAWA p.44-45

女性天皇は女系天皇なのか

過去に存在した8人の女性天皇は「女系天皇」ではありません。「男系」の天皇です。

天皇の「男性/女性」と「男系/女系」とは違う区別です。「男性/女性」は性別による区別で、「男系/女系」は以前の天皇との関係で、「男系」は「男親(父)をたどると天皇につながる」という系統で、「女系」は「男系」ではない系統のことをいいます。天皇にたどり着くまでに女性(母)が1人でも介在していると「女系」です。

8人のうち、6人は父親が天皇ですから「男系」です。

皇極・斉明天皇は敏達天皇のひ孫です。敏達天皇の長男の「押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)」の息子の「茅渟王(ちぬのおおきみ/ちぬのみこ)」の長女なので、父親をたどると天皇につながる系統「男系」の人です。

元正天皇は、母親が天皇ですが、父親の草壁皇子は天皇ではありません。が、草壁は天武天皇の次男なので、父をたどると天皇につながる「男系」です。