済寧館(さいねいかん)

皇宮警察の武道場です

済寧館ならではの設えとして、道場正面に玉座があります。天皇の臨席をあらかじめ想定しているからです。柔剣道場のほか、弓道場があります。弓道場は全国警察で唯一ということです。

現在の済寧館は、本館と付属の建物を合わせた総建坪三四七坪のうち、道場だけでも一九八坪もある。切妻千鳥破風造りの純日本式で天皇の御臨席を想定しているだけに、建物の正面には御車がそのまま横付けできる御車寄せのほか、道場中央の鴨居の中心には金色の菊の御紋章が輝き、その奥の上段には玉座が設けられた。また、玉座の上の鴨居にはのちに左側に有栖川宮筆の「済寧館」の額が、右側に横山大観の富士山の絵が飾られることになる。

◇久能靖『皇宮警察』2027年 河出書房新社 p.21

皇宮警察の武道場【済寧館(さいねいかん)】には、全国警察唯一の【弓道場】があります。

私たち皇宮護衛官は心身の鍛錬のため、武道訓練を行っています。

済寧館の「済寧」はどこからきているのか

詩経の中のから採られているとのことです。「済済多士 文王以寧」(せいせいたし ぶんおうもつてやすんず:徳が高く優秀な人がたくさん集まっているので、周の文王がやすんじて国を治めることができた)からきているとのことです。

道場の名前は「四書五経」の「詩経大雅文王篇」にある「済済多士 文王以寧(せいせいたし ぶんおうもつてやすんず)」から取って「済寧館(さいねいかん)」と名づけられた。これは「周の文王が久しく徳化を進めたため国運が盛んになり、多くの人士によって善政が敷かれたので、文王の神霊も安寧になることができた」という意味で、文武に励み、徳を磨くための修養道場に供するという明治天皇の御沙汰にふさわしい名前であった。

◇久能靖『皇宮警察』2027年 河出書房新社 p.16

済寧館はいつできたのか

1883年(明治16年)にできました。現在の建物は、1933年の竣工です。初めは紀尾井町にあり、1889年、明治宮殿の完成ととも皇居内へ移りましたが、1923年の関東大震災で損壊。その後、皇居東御苑に建てられ、1933年に現在の建物になったとのことです。

「京都に都を定めた桓武天皇が大内裏に武徳館を造営し、武道を奨励されたのが済寧館の前身だといわれている。」(p.15)

「明治十六年(一八八三年)六月、明治天皇から徳大寺実則に対して、武道を奨励するため宮中に撃剣場を設けるようにとの御沙汰があった。徳大寺はただちに実行に移し、翌七月には、現在の東京都千代田区紀尾井町の紀尾井ホールがある場所で建設が始まった。

そしてわずか一か月で、平屋ではあるが立派な道場と付属棟が出来上がり、十一月には同じ構内に弓道場も新設された。」(p.16)

「道場は、新しい宮殿が完成して宮城と呼ばれるようになったのを機に、明治二十二年(一八八九年)四月に皇居内の富士見櫓下の敷地に移築された。

ところが大正十二年(一九二三年)、済寧館は関東大震災の被害を受けて損壊したため、取り壊された。そして今度は、 一般の人々も自由に入ることのできる現在の東御苑の三の九尚蔵館のそば、売店があるあたりに三代目の済寧館が完成した。」(p.19)

「この三代目の済寧館は昭和八年(一九三三年)まで、それまで通り皇宮警察官の鍛錬の場であったが、四年前の昭和四年、昭和天皇の御大礼記念武道大会に天皇のご臨席を仰いだのを機に、天覧にふさわしい武道場を建設すべきだという声が高まり、昭和八年十二月二十七日に竣工したのが現在の済寧館である。四代目ということになる。」(p.20-21)

◇久能靖『皇宮警察』2027年 河出書房新社

天皇が済寧館に行くことはあるのか

昭和天皇、平成の明仁天皇(上皇)、現在の徳仁天皇のいずれも、済寧館を訪れています

昭和天皇は、摂政だった1926年(大正15年)5月15日、皇宮警察部武道大会に臨席のため、済寧館に行啓しています。また、即位後の1934年5月5日、皇太子(明仁天皇=上皇)の誕生記念の武道大会を観戦するため、済寧館に行幸しています。

明仁天皇(上皇)は1999年12月3日、ヨルダン国王を済寧館に案内し、柔道、剣道、弓道をみています。

最近では、2023年12月13日、徳仁天皇と雅子皇后が、皇宮警察の武道大会を済寧館で観戦しています。

『昭和天皇実録』大正15年(1926年)5月15日条

十五日 土曜日 午後一時十五分御出門、宮城内の済寧館に行啓され、皇宮警察部武道大会に御臨場になる。まず柔道の古式の形並びに特別試合を御覧になり、ついで剣道の大日本帝国剣道形並びに特別試合を御覧になる。午後三時同館を御発、御内儀にお立ち寄りの後、還啓される。なお、この日の優勝者には「慈勇」と書した銀盃を、出演者。審判員には木盃を賜う。

◇『昭和天皇実録 第四』2015年 東京書籍 p.457

『昭和天皇実録』昭和9年(1934年)5月5日条 (註略)

五日 土曜日 皇太子殿下御誕生奉祝武道大会開催につき、午後一時十分御車寄を発御、済寧館にお出ましになる。御到着後、直ちに会場内の玉座に着され、試合等を御覧になる。載仁親王・守正王・永久王・恒徳王・年彦王・李王恨、並びに内閣総理大臣斎藤実以下国務大臣その他が陪覧する。まず剣道の部として、高野佐二郎。中山博道による大日本帝国剣道形(…)終了後、 一旦御帰還になる。三時十分御車寄発御にて、再び済寧館にお成りになり、柔道の部を御覧になる。講道館投の形に続き、(…)四時三十分会場を発御、御帰還になる。なお本大会の関係審判・選士及び役員等に対し、翌六日に新宿御苑の拝観を差し許され、御紋菓を下賜される。

◇『昭和天皇実録 第六』2016年 東京書籍 p.505-506

明仁天皇美智子皇后の日程(宮内庁)

平成11年12月3日(金)

天皇陛下 ご案内(ヨルダン国王陛下[国賓](皇宮警察職員による,柔道・剣道・弓道ご覧))(皇宮警察本部済寧館)

12月13日天皇皇后両陛下は皇居内にある皇宮警察の道場、「済寧館」へおいでになりました。

この日、皇室の方々の護衛を担う、皇宮警察の武道大会を観戦されたお二人。

大会が行われた済寧館は明治16年に作られ、関東大震災を経て、上皇様が誕生された昭和8年に再建されました。

昭和9年には、上皇様のご誕生を祝う武道大会が開催され、昭和天皇が出席しています。

済寧館で行われる、皇宮警察本部武道大会を、天皇皇后両陛下がお二人揃ってご覧になるのは初めてのことです。 お二人は柔道の団体戦と個人戦をご観戦。 続いて剣道の試合をご覧になりました。

◇MBS『皇室アルバム』第3271集 2024-01-20