明治8年の文書は、皇子を「某仁」、皇女を「某子」とする先例を示しています
明治8年(1875年)の「皇子皇女御降誕ノ節ノ諸式」という文書によると、天皇の子どもの名前は、清和天皇以来の先例に従い、皇子は「某仁」、皇女は「某子」であるべしとされています。
いずれも、字は天皇が選びますが、あらかじめ有識者に2、3の案を選ばせたうえで、天皇が決めるのもよいとされています。
皇子(おうじ)は天皇の男の子、皇女(おうじょ、こうじょ)は天皇の女の子のことです。
一名字は清和天皇以来仁字ヲ用ヒラレタル先規ニ任セテ仁字ヲ用ヒ某仁ト二字名タルヘク皇女ハ某子ト一字名タルヘシ
但字面ハ必シモ某仁ト熟字ヲ求ムヘキニアラス皇子女共ニ一字ノ意義ヲ採ルヘシ
一名字ハ皇上自ラ撰定セラルヘシ
但シ兼テ侍讀ニ命シテ両三ヲ撰進セシメ其内ヨリ撰定セラルゝハ格別タルヘシ
いつから定着したのか
平安時代です。
『皇室事典』によると、男子(皇子)については、文徳天皇が清和天皇(850-880)に「惟仁(これひと)」と名付けてから「○仁」が多くなり、女子(皇女)については、嵯峨天皇(786-842)が娘に「子」を付けて以来、それが定例になったということです。
