「姓(せい)」は、男系継承を支える観念として参照されますが、日本の姓は中国的な父系血統観念と同じではないこと、明治以降に制度上の機能を失ったと整理されます
2005年6月30日の皇室典範に関する有識者会議第8回では、資料4「『姓(せい)』について」が配布されました。
この記事は、この資料をもとに、「姓」が皇位継承論で何を意味するのかを整理します。
なぜ、この資料が第8回で出されたのか
この資料が第8回で出されたのは、男系継承を考えるうえで、「姓」と父系継承の観念を確認するためだと考えられます。
男系継承を重視する議論では、皇統が男系で続いてきたことが強調されます。その背景には、父系で血筋や家を継ぐという考え方があります。
しかし、第8回の議論では、そもそも「姓」とは何か、中国における姓と日本における姓は同じなのか、姓と父系継承はどのように結びついていたのか、現在の制度にその観念は残っているのかが問題になります。
「姓」は、天皇から与えられるものだった
日本では、姓は天皇から臣民に与えられるものでした。そのため、天皇・皇族は姓を有しないと整理されています。
皇位継承論で男系が問題になるとき、「姓」や父系継承の観念が参照されることがあります。しかし、日本の制度における姓は、天皇・皇族自身が持つものではありませんでした。
姓は、臣民であることの表象として、奉仕や忠誠の度合いに応じて天皇から賜与されるものであり、天皇・皇族を血統上の一族名で表すものではなかったのです。
支配層(貴族等)では、ウジ名とカバネをあわせたものが姓(せい)とされました。
ウジとは、古代において、祭祀・居住地・官職などによって結合した擬制的同族集団(祖先・血統を同じくすると信じる擬制的な血縁集団ともいわれる)。カバネは、ウジの職務や家柄などの公的な地位を示すものとして、ウジの首長(氏の上)に対し、天皇から賜与されたものです。
中国の姓と日本の姓は同じではない
中国では皇帝も姓によって語られますが、日本の天皇は姓を有しません。
中国では、姓は宗族にもともと備わるものとされ、皇帝も姓を有していました。たとえば、唐朝は李姓である、というように、皇帝も姓によって語られます。
これに対して、日本では、姓は天皇から与えられるものであり、天皇・皇族は姓を有しません。
中国的な姓は、宗族や血統と強く結びつくものです。そこでは、同姓とは祖先・血統を同じくすることを意味し、同姓不婚、異姓養子や改姓の否定といった観念にもつながります。
しかし、日本の姓は、天皇から臣民へ与えられるものであり、中国の姓とそのまま同じ意味を持つものではありませんでした。
日本にも父系継承の観念はあった
律令制に見られるように、日本に父系継承の観念がなかったわけではありません。
日本の律令制は中国の律令制を模範としており、姓は父系で継承されるべきものとの観念を前提にしていたと整理されます。
そのため、日本でも、支配層では、姓は父系で継承されるべきものと考えられていました。
この点は、男系継承論と関係します。男系で継承することに重みを置く考え方の背後には、父系で身分や家を継ぐという観念があります。その観念が日本の律令制にも入っていたことを資料は確認しています。
しかし、日本の実態は中国と異なっていた
姓をめぐっては、日本での婚姻や養子の実態が中国と異なっていたことも示されます。
中国では、同姓不婚の観念が古くから存在し、異姓養子や改姓も否定されていました。姓が父系血統と強く結びついていたからです。しかし日本では、同姓不婚の観念は見られず、異姓養子の例もあり、改姓も行われていました。
つまり、日本にも父系継承の観念はありましたが、それは中国のように一貫して厳格な血統秩序として働いていたわけではありません。
「姓」は男系継承を説明する手がかりにはなります。しかし、日本の姓の制度と実態を見ると、それだけで男系継承を単純に説明できるわけではありません。
明治以降、「姓」は制度上の機能を失った
明治の初期に平民も苗字を名乗ることになり、それまでの姓は公的な機能を失いました。
明治3年、太政官布告によって、平民も苗字を称することができるようになりました。
明治4年には、「姓尸(せいし)」の使用が停止され、公的文書では苗字と実名のみを用いることとされました。資料は、この太政官布告により、「姓尸」、つまりウジ名とカバネを指す姓は、公的な場面での制度的機能を失ったと説明しています。
その後、明治5年から壬申戸籍が編製され、明治8年には平民苗字必称令により、国民すべてが苗字を称することになりました。
この流れを見ると、古代以来の姓は、明治初期に公的な制度機能を失い、苗字・氏を中心とする制度へ移っていったことが分かります。
現行制度の「氏」は、血統そのものではない
明治民法以降、「氏」は家や戸籍の単位と結びつき、血統そのものを表すものではなくなりました。
明治民法では、「氏」は家の名称とされました。同じ家、つまり同じ戸籍にある者は、その家の氏を称しました。
このため、法律上、「氏」と血統とは直接の関係がなくなったと説明されます。
たとえば、入夫や婿養子は妻の家に入り、妻の家の氏を称しました。また、妻も夫の家に入れば夫の家の氏を称することになりました。
現行民法では、夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称します。戸籍も、一組の夫婦と、これと氏を同じくする子ごとに編製されます。
つまり、現在の「氏」は、古代の姓とも、中国的な父系血統の姓とも同じではありません。
皇位継承論で「姓」や父系継承を持ち出す場合、この違いを確認しておく必要があります。
まとめるとどうなるか
「姓」を確認することは、皇位継承論で男系や父系継承を考えるための前提になります。
日本では、姓は天皇から臣民に与えられるものであり、天皇・皇族は姓を有しないものとされていました。
また、中国では姓が宗族や父系血統と強く結びついていましたが、日本では同姓不婚の観念は見られず、異姓養子や改姓も行われていました。
さらに、明治以降、古代以来の姓は公的な制度機能を失い、苗字・氏を中心とする制度へ移りました。現行制度の氏も、血統そのものを表すものではありません。
したがって、「姓」は、男系継承を考えるうえで無視できない観念ですが、それだけで皇位継承を男系に限る理由を単純に説明できるものではありません。
2005年の有識者会議でこの資料が示された意味は、男系継承を支えるとされる父系継承の観念を、歴史的・制度的に確認することにあったといえます。
