皇位継承制度は、伝統・先例、旧皇室典範、現行皇室典範の三段階で見ると、皇統・男系を維持しながら、しだいに制度として限定されてきました
皇位継承制度、皇族制度、皇籍離脱、婚姻、養子、皇室経済制度、諸外国の王位継承制度を、伝統・先例、旧皇室典範、現行皇室典範という三つの段階で比較します。
ここで見えてくるのは、皇統・男系という軸が維持される一方で、近代以降、皇位継承資格や皇族の範囲が制度としてしだいに限定されてきたということです。
この記事では、個別論点を一つずつ詳述するのではなく、伝統・先例、旧皇室典範、現行皇室典範という三段階で、制度全体の変化を見ます。
この記事は、2005年の皇室典範に関する有識者会議第5回の資料「皇位継承制度等の変遷(概要)等」をもとに整理します。
皇室制度は、時代によりどのように整理できるか
この資料は、皇位継承制度と皇族制度を、伝統・先例、旧皇室典範、現行皇室典範の三段階で比較しています。
資料は、明治22年以前、明治22年から昭和22年まで、昭和22年以降という三つの時期を並べています。
第一は、明治22年以前の伝統・先例の時期です。この時期には、皇位継承のルールを定める明文の規定はありませんでした。
第二は、明治22年から昭和22年までの旧皇室典範の時期です。旧皇室典範は、大日本帝国憲法と並立する法典であり、天皇が制定したものとされました。ここで、皇位継承のルールは明文で規定され、制度として明確化・安定化されました。
第三は、昭和22年以降の現行皇室典範の時期です。現行皇室典範は、日本国憲法に基づく法律であり、国会が制定しました。旧皇室典範を基本的に踏襲しつつ、皇位継承資格や皇族の範囲について、一部をさらに限定しています。
皇位継承の基本は、どこが変わらなかったのか
皇位継承については、皇統に属することと、男系で継承されてきたことが、三段階を通じて基本に置かれています。
資料は、伝統・先例の時期について、全て皇統に属する方によって皇位が継承され、全て男系で継承されてきたと整理しています。
旧皇室典範では、この点が明文化されました。大日本帝国憲法第2条は、皇位は皇室典範の定めるところにより皇男子孫が継承すると定め、旧皇室典範第1条は、皇位は祖宗の皇統に属する男系の男子が継承すると定めました。
現行皇室典範でも、皇統に属することと男系男子であることが明文で規定されています。日本国憲法第2条は、皇位は世襲のものであり、国会の議決した皇室典範の定めるところにより継承すると定め、現行皇室典範第1条は、皇位は皇統に属する男系の男子が継承すると定めています。
したがって、資料の整理では、皇統と男系は、伝統・先例、旧皇室典範、現行皇室典範を通じる軸になっています。
どこで制度は狭まったのか
制度として見ると、旧皇室典範で女性天皇と養子が否定され、現行皇室典範で非嫡出子も否定されたため、皇位継承の仕方はしだいに狭まりました。
資料は、伝統・先例の時期について、皇位の継承は嫡出の男子だけではなく、非嫡出子や女性によっても行われており、これらの多様な継承により男系が維持されてきたと整理しています。
旧皇室典範では、皇位継承資格を男系男子に明文で限定しました。非嫡出子は皇位を継承できるとされた一方で、女性は皇位を継承できないとされました。そのため、皇位継承の仕方は、従前に比べて限定されました。
現行皇室典範では、皇位継承資格を男系男子に限定するとともに、非嫡出子も皇位を継承できないとされました。そのため、資料は、現行制度について、皇位継承の長い歴史の中で、継承の仕方が最も狭まったものと整理しています。
ここが、この資料の重要な読みどころです。男系という軸は維持されている一方で、その男系をどの範囲で確保するかは、歴史の中で広くも狭くもなってきたからです。
女性天皇は、どのように位置づけられているのか
資料は、歴代の女性天皇を男系女子として整理しつつ、その性格や位置づけを一括りにはできないとしています。
伝統・先例の欄では、10代8方の女性天皇が即位したことが示されています。資料は、歴代の女性天皇が全て男系であり、寡婦か未婚であったことを確認しています。
また、歴代の女性天皇が即位した経緯については、現在までさまざまな指摘があり、その性格や位置づけについて一括りにすることは必ずしもできないと整理しています。
旧皇室典範と現行皇室典範の欄では、それぞれ制定時に、男系男子に限定された理由と、女性の皇位継承を可能としてはどうかという議論が整理されています。
つまり、この資料は、女性天皇を単なる例外として消しているわけではありません。女性天皇の先例を確認しながら、旧典範・現行典範の制定時に、それをどう扱うかが論点になっていたことを示しています。
継承順位の考え方は、どう変わったのか
継承順位については、旧皇室典範と現行皇室典範で、直系優先、長系優先、近親優先が明文化されました。
伝統・先例の時期には、歴代の皇位継承には、時代ごとの政治・社会情勢、社会通念、価値観などに応じてさまざまな形がありました。ただし、全体としては直系継承の場合が支配的だったと整理されています。
資料は、初代神武天皇から第125代今上天皇までの124継承例について、直系継承69例、兄弟姉妹間の継承27例、その他の継承28例と示しています。
旧皇室典範と現行皇室典範では、直系優先、長系優先、近親優先が明文化されました。旧皇室典範では、さらに嫡出系優先も置かれました。現行皇室典範では、非嫡出子・非嫡出系による継承が否定されました。
この整理からは、歴史上は多様な継承があった一方で、近代以降、継承順位の考え方が成文化され、制度として明確化されていったことが分かります。
皇族の範囲は、どう変わったのか
皇族の範囲については、律令の世数制、旧皇室典範・現行皇室典範の永世皇族制、皇籍離脱制度という形で整理されています。
伝統・先例の時期には、律令上、皇族の範囲は天皇の4世までの子孫に限定されていました。天皇の子および兄弟姉妹を親王・内親王とし、2世以下を王・女王として、4世までを皇族とする仕組みでした。
ただし、実際の運用では、親王宣下や世襲親王家など、律令の規定とは異なる実態もありました。世襲親王家は、代々親王宣下を受けた当主が宮家を世襲したため、世数を基準とする皇族の範囲の例外となりました。
旧皇室典範では、永世皇族制が採用されました。天皇および皇族の子孫は、皇籍離脱をしない限り、永世にわたって皇族となる仕組みです。
現行皇室典範も永世皇族制を採用しています。ただし、親王・内親王の範囲は2世までとされ、3世以下は王・女王とされました。資料は、これを親王・内親王の範囲を狭めたものとして整理しています。
皇籍離脱と復帰は、どう整理されているのか
皇籍離脱については、伝統・先例、旧皇室典範、現行皇室典範を通じて、皇族の範囲を調整する制度として整理されています。
伝統・先例の時期には、賜姓による臣籍降下がありました。皇子孫が姓を賜って臣籍に降下するもので、財政的観点から行われたとされています。
旧皇室典範では、内親王、王、女王について、勅旨または願い出により皇籍を離脱する制度がありました。親王については、当初は皇籍離脱制度がありませんでした。
現行皇室典範では、皇太子・皇太孫を除く親王、内親王、王、女王について、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により皇籍を離脱できるものとされました。また、15歳以上の内親王、王、女王は、その意思に基づき、皇室会議の議により皇籍を離脱できるとされています。
皇籍離脱の例としては、明治40年の旧皇室典範増補に基づく王13方の皇籍離脱、昭和22年10月の11宮家51方の皇籍離脱が挙げられています。
また、皇籍を離脱した者の皇籍復帰は、旧皇室典範・現行皇室典範ともに否定されています。いったん臣籍降下した後に皇籍に復帰した例はありますが、宇多天皇の例など特殊な事例として整理されています。
婚姻と皇族の身分は、どう変わったのか
婚姻については、皇族以外の女子が皇族と婚姻した場合の身分取得と、皇族女子が天皇・皇族以外の者と婚姻した場合の皇籍離脱が整理されています。
伝統・先例の時期には、皇后は内親王から選定されることが原則でしたが、奈良時代以降、皇族以外の女子の立后も多く行われました。
皇族以外の女子が天皇・皇族と婚姻しても、伝統・先例の時期には皇族とはなりませんでした。これに対して、旧皇室典範と現行皇室典範では、皇族以外の女子が天皇・皇族と婚姻した場合は皇族となると整理されています。
一方で、皇族女子については、伝統・先例の時期には、天皇・皇族以外の者と婚姻しても皇族の身分を保持していました。ただし、そこに生まれた子は皇族とはなりませんでした。
旧皇室典範と現行皇室典範では、天皇・皇族以外の者と婚姻した皇族女子は皇籍を離脱するものとされました。
この整理は、皇族数の問題と深く関わります。皇族女子が婚姻により皇籍を離脱する仕組みは、現行制度のもとで皇族数が減少していく重要な要因になるからです。
養子は、どう扱われてきたのか
養子については、伝統・先例では例がありましたが、旧皇室典範と現行皇室典範では否定されました。
伝統・先例の時期には、天皇・皇族が養子をする例がありました。資料は、江戸時代までの養子の例を、性格によりいくつかに分けています。
第一は、皇位の直系継承を擬制することを目的として、天皇・上皇が養子をする例です。
第二は、親王宣下を目的として、天皇・上皇が養子をする例です。
第三は、世襲親王家や寺家などの家の継承を目的として、天皇・上皇が養子をする例です。
旧皇室典範では、養子は否定されました。資料は、その背景として、旧皇室典範によって皇位継承制度や皇族制度が明確に規定され、従前の例のような養子をする意味がなくなったことを示しています。現行皇室典範も、旧皇室典範を踏襲して養子を否定しています。
皇室経済制度と外国制度は、なぜ添えられているのか
この資料には、皇位継承制度の変遷に加えて、皇室経済制度と諸外国の王位継承制度の概要も添えられています。
資料の末尾には、皇室経済制度の概要と、諸外国の王位継承制度の例が付されています。
これは、皇位継承制度を、単に皇位の継ぎ方だけでなく、皇族の範囲、費用、外国制度との比較まで含めて検討するための資料構成だと読めます。
この資料から、何が読み取れるのか
この資料からは、皇位継承制度が、皇統・男系という軸を維持しながら、成文化と近代法制化の中で、継承資格や皇族の範囲をしだいに限定してきたことが読み取れます。
伝統・先例の時期には、明文のルールはありませんでしたが、皇統に属する男系による継承が維持されてきました。その一方で、非嫡出子、女性天皇、庶系、傍系、養子、皇籍離脱など、多様な仕組みも存在していました。
旧皇室典範は、皇位継承のルールを成文化し、制度として明確化・安定化しました。しかし同時に、女性天皇と養子を否定し、皇位継承の仕方を従前より限定しました。
現行皇室典範は、旧皇室典範を基本的に踏襲しつつ、非嫡出子も皇位継承資格から外し、親王・内親王の範囲を狭めるなど、皇位継承と皇族制度をさらに限定しました。
この資料からは、現在の皇位継承制度を考えるときに、「伝統がそのまま続いている」とだけ見るのではなく、伝統・先例、旧皇室典範、現行皇室典範のそれぞれで何が維持され、何が制度化され、何が限定されたのかを分けて考える必要がある、ということが読み取れます。
