2005有識者会議の第3回では、皇位継承の歴史的変遷と女性天皇の即位例をもとに、男系継承を保ちつつも、歴史上の継承が多様で柔軟であったことが確認されました
2005年3月30日、皇室典範に関する有識者会議の第3回会議が開かれました。
この回の中心は、皇位継承の歴史をどう見るかです。江戸時代以前の皇位継承は、皇統に属する男系によって行われてきた一方で、庶系、傍系、女性天皇、養子などを含み、時代ごとの政治・社会情勢に応じて柔軟に行われてきたものとして整理されました。
第3回では、資料1「皇位継承の時代的変遷」、参考資料「天皇系図」、資料2「皇位継承の考え方が記録されている例」、資料3「歴代の女性天皇について」が事務局から説明されました。
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第3回では、何が議論の焦点になったのか
第3回では、皇位継承の歴史を、男系継承の維持と、多様な継承形態の両方からどう理解するかが焦点になりました。
第3回会議では、江戸時代以前の皇位継承と、明治時代以後の皇室典範による制度を比較する質問が出されました。
これに対して、事務局からは、皇統に属する男系によって皇位継承が行われてきたことは共通していると説明されました。そのうえで、江戸時代以前には、そのときどきの外戚などの影響があった場合もあり、天皇や上皇の意思により継承者が決められていたと整理されました。
また、明治時代には、天皇が定める皇室典範という形で成文化され、現行皇室典範では国会が定める法律によるものとなりました。内容面では、江戸時代以前には庶系、養子、女性天皇も否定されていなかったのに対し、明治の旧皇室典範では養子と女性天皇が認められず、現行皇室典範ではさらに非嫡出子も認められないこととなった、と説明されました。
このため、現行制度は、歴史の中では皇位継承の幅が狭まったものと考えることができるのではないか、という整理が示されました。
江戸時代以前の皇位継承は、どのように総括されたのか
江戸時代以前の皇位継承は、男系を維持しつつも、時代ごとの政治・社会情勢に応じて多様な形をとったものとして総括されました。
第3回の意見交換では、江戸時代以前の皇位継承について、いくつかの点が総括されました。
第一に、江戸時代以前には、皇位継承の在り方を定めた明文の規定はありませんでした。
第二に、皇位継承は、その時代ごとの政治的な権力をめぐる対立、有力者の意向、政治・社会情勢、社会通念や価値観などに応じて、さまざまな形をとりました。ただし、全体としては直系継承の場合が支配的であったとされました。
第三に、皇位継承にあたっては紛争も生じましたが、血統の正統性を基本に、母親の血筋、先例などによって、その即位の理由が説明され、認められてきたとされました。
第四に、皇統による皇位継承が維持されており、男系による皇位継承には例外がないとされました。
第五に、直系による継承にあたっては、嫡系だけでなく庶系も重要な役割を果たし、状況に応じて傍系継承なども行われ、柔軟に対応してきたと整理されました。
女性天皇について、何が確認されたのか
歴代の女性天皇については、10代8方すべてが男系で皇統に属し、寡婦または未婚であったこと、また即位の事情を一括りにできないことが確認されました。
第3回では、10代8方の女性天皇についても意見交換がありました。
女性天皇については、全て父方が天皇または皇族であり、男系で皇統に属する方々であったことが確認されました。また、即位時点では、寡婦が4方、未婚が4方であり、いずれの方も、即位時およびその後は結婚していないと整理されました。
さらに、歴代の女性天皇が即位した経緯については、それぞれの時代におけるさまざまな状況があり、またその状況自体の認識についても現在までさまざまな議論があるとされました。そのため、女性天皇の性格や位置づけについて、一括りにすることは必ずしもできないと整理されました。
この点は重要です。女性天皇の先例は、単に「女性天皇がいた」という事実だけで読むのではなく、どのような時代状況の中で、どのような皇統上の位置にあり、何をつなぐために即位したのかを見る必要があります。
「中継ぎ」という言葉は、どう受け止められたのか
第3回では、女性天皇を一律に中継ぎと見ることへの違和感も示されました。
意見交換では、10代8方の女性天皇を個別に見ると、「中継ぎ」という言葉が不適切ではないかと思えるほど、非常に重要な実績を残している方がある、という意見が出されました。
これは、女性天皇を単なる一時的なつなぎ役としてだけ見ることへの注意です。
もちろん、資料上は、幼少の男性皇嗣の成長を待つために即位したと見られる例もあります。しかし、それだけでは女性天皇の歴史を十分に説明できません。即位の事情、在位中の事績、政治的役割、次代への継承のつなぎ方を個別に見る必要があります。
男系継承の背景について、何が議論されたのか
男系継承については、例外がないことが確認される一方で、なぜ男系でなければならないのかを説明した歴史的文書は見当たらないとされました。
第3回では、なぜ皇位継承は男系でなければならないのかを説明した文書等は存在しないのか、という質問が出されました。
これに対して、事務局からは、そのような歴史的な文書は見当たらないと説明されました。男系による継承の背景としては、古代における国家統一に際して武力の役割が大きくなり、男性優位の考え方が定着したという見方や、儒教の男性優位の考え方が導入されたという見方があり得るとされました。
また、男系継承の背景には律令の導入があるのではないかという意見も示されました。中国の法律制度や家族原理を理想とする考え方が古くからあり、律令本来の形として、男系による嫡系相承が本来あるべき姿であると当時の支配者に認識されていたのではないか、という見方です。
一方で、日本の現実の婚姻形態などが双系的であったことから、女性天皇に対して寛容であったが、中国の思想が貫徹してくると女性天皇が少なくなっていく、という意見も示されました。
現行制度は、歴史の中でどう位置づけられたのか
現行制度は、歴史の中では皇位継承の幅が狭まった制度として位置づけられました。
第3回で重要なのは、江戸時代以前、旧皇室典範、現行皇室典範を比較する視点が示されたことです。
江戸時代以前には、明文のルールはありませんでしたが、庶系、養子、女性天皇も否定されていませんでした。明治の旧皇室典範では、非嫡出子は認められたものの、養子と女性天皇は認められませんでした。そして現行皇室典範では、非嫡出子も認められなくなりました。
この整理からは、現在の皇位継承制度が、伝統をそのまま広く引き継いだものではなく、成文化と近代法制化の過程で、継承資格をしだいに限定してきた制度であることが見えてきます。
今後の進め方は、どう確認されたのか
第3回までに制度の考え方と歴史について認識を共有したうえで、今後は専門家から意見を聞く方向が示されました。
第3回の最後には、今後の進め方についても意見が示されました。
国民の広範な支持が得られる提案を作成することが大事であり、そのためには、十分な歴史的理解に基づきつつ、社会の変遷等も視野に入れながら検討を進めることが重要であるとされました。
また、第3回までに、これまでの制度の考え方や歴史についてひとわたり認識を共有したので、皇位継承制度に関心が深い専門家など、部外の人を招いて意見を聞いてはどうかという意見が出されました。
この流れは重要です。第1回から第3回までで、現行制度、制定時の考え方、歴史的変遷、女性天皇の先例を確認したうえで、第4回以降の専門家ヒアリングへ進んでいくことになります。
第3回会議は、後の議論にとってどのような意味を持つのか
第3回会議は、皇位継承制度を、伝統という一語ではなく、男系の維持と多様な継承形態の重なりとして考える方向を示した回でした。
第3回では、男系による皇位継承に例外がないことが確認されました。
しかし同時に、江戸時代以前には、庶系、傍系、女性天皇、養子なども含めて、時代ごとの事情に応じた多様な継承が行われてきたことも確認されました。
また、女性天皇についても、10代8方の先例がある一方で、いずれも男系であり、即位の経緯や位置づけは一括りにできないとされました。
その意味で、第3回会議は、皇位継承の歴史を、「男系かどうか」だけでも、「女性天皇がいたかどうか」だけでもなく、男系を維持しつつ、どのような範囲・方法・事情で継承が行われてきたのかという問題として見る回だったといえます。
